ジャズと聞いて、どんな場所を想像するだろう。
静かなジャズクラブ。
椅子に座った観客。
難解な即興演奏。
演奏が終わると拍手が起こり、また静かになる。
Ezra Collective(エズラ・コレクティヴ)のライブは、そのイメージとはかなり違う。
観客は踊る。
叫ぶ。
跳ねる。
ステージではホーンが鳴り、ベースがうねり、ピアノが跳ね、ドラムが猛烈なグルーヴを作る。
そこにあるのはジャズでありながら、同時にアフロビートであり、ヒップホップであり、レゲエであり、ダブであり、サルサでもある。
しかし彼らは、ジャズを現代風に「アップデート」しようとしているわけではない。
むしろEzra Collectiveの音楽を聴いていると、あることに気づく。
ジャズはもともと、踊るための音楽でもあった。
彼らは新しいジャズを作ったというより、ジャズがいつの間にか置き忘れてしまった「身体」を取り戻したのかもしれない。
- Ezra Collectiveとは何者なのか
- 始まりはTomorrow’s Warriors
- 「ジャズは自分たちのものではない」と感じていた少年
- 彼らのルーツにはFela Kutiがいる
- ジャズ+アフロビートではない
- ロンドンだから生まれた音楽
- 『You Can’t Steal My Joy』
- 『Where I’m Meant To Be』
- Mercury Prizeを獲った「ジャズバンド」
- Ezra Collectiveは5人だけではない
- 『Dance, No One’s Watching』
- Abbey Roadをダンスフロアにする
- 「God Gave Me Feet For Dancing」
- 「Ajala」とLagos
- なぜ彼らのライブでは人が踊るのか
- ジャズを簡単にしたわけではない
- 「分からなくても楽しめる」という強さ
- そして次の章へ
- Ezra Collectiveを初めて聴くなら
- ジャズを「みんなの音楽」に戻す
Ezra Collectiveとは何者なのか
Ezra Collectiveはロンドンを拠点とする5人組のバンドだ。
メンバーは、
Femi Koleoso(ドラム)
TJ Koleoso(ベース)
Joe Armon-Jones(キーボード)
James Mollison(サックス)
Ife Ogunjobi(トランペット)
の5人。
中心人物はドラマーのFemi Koleoso。
TJ KoleosoはFemiの弟であり、兄弟によるドラムとベースがバンドの強烈なリズムセクションを作っている。
その上をJoe Armon-Jonesの鍵盤、James Mollisonのサックス、Ife Ogunjobiのトランペットが自由に動き回る。
編成だけを見れば、かなり典型的なジャズ・コンボに見える。
しかし鳴っている音楽はまったく典型的ではない。
始まりはTomorrow’s Warriors
Ezra Collectiveの物語を語るうえで欠かせない存在が、ロンドンの音楽教育プログラム「Tomorrow’s Warriors」だ。
1991年にGary CrosbyとJanine Ironsによって設立されたこの組織は、若いミュージシャン、とりわけ音楽教育へのアクセスが限られやすいコミュニティの若者たちに、ジャズを学ぶ場所を提供してきた。
Femi Koleosoは15歳頃からその無料ワークショップに参加。
そこで弟のTJ、James Mollison、Joe Armon-Jonesらが出会い、2012年にEzra Collectiveの原型が生まれた。
後にIfe Ogunjobiが加わり、現在の5人編成となる。
この背景はEzra Collectiveを理解するうえで非常に重要だ。
なぜなら彼らにとってジャズは、音楽学校の教室だけに存在する高尚な芸術ではなかったからだ。
仲間と出会う場所であり、人と人をつなぐ場所だった。
その思想は、現在のEzra Collectiveにもそのまま残っている。
「ジャズは自分たちのものではない」と感じていた少年
Femi Koleosoは若い頃、ジャズをどこか「自分にはアクセスできないエリートの芸術」のように感じていたという。
これは象徴的な話だ。
ジャズは20世紀のポピュラー音楽に巨大な影響を与えたにもかかわらず、時代が進むにつれて「難しい音楽」「知識が必要な音楽」というイメージを持たれるようになった。
しかしTomorrow’s Warriorsには、自分と同じ世代の若者たちがいた。
ジャズを聴き、演奏し、楽しんでいる。
そこでFemiの中にあったジャズとの距離が縮まっていった。
後にEzra Collectiveが「誰でも参加できるようなジャズ」を鳴らすようになったことは、この経験と無関係ではないだろう。
彼らのルーツにはFela Kutiがいる
Ezra Collectiveの音楽を聴けば、すぐに気づくものがある。
リズムだ。
その重要なルーツの一つがアフロビートであり、特にFela Kutiの存在は大きい。
FemiとTJの父親はナイジェリア出身。
Femiは幼い頃から父親のCDコレクションを通じてFela Kutiの音楽に触れていた。
そして後にFemiは、Fela Kutiのドラマーとしてアフロビートのリズムを作り上げた伝説的なTony Allenから直接ドラムを学ぶことになる。
Femiはロンドンからパリまで夜行バスで移動し、Tony Allenのもとへ通った。
ジャズ。
ロンドン。
ナイジェリア。
Fela Kuti。
Tony Allen。
これらはEzra Collectiveの音楽の中で別々に存在しているわけではない。
すべてが同じリズムの中でつながっている。
ジャズ+アフロビートではない
Ezra Collectiveを「ジャズとアフロビートを融合したバンド」と説明することはできる。
しかし、それだけでは少し足りない。
彼らの音楽にはヒップホップ、レゲエ、ダブ、ハイライフ、サンバ、サルサ、ゴスペル、R&Bなど、さまざまな音楽が流れ込んでいる。
重要なのは、それらが「実験的なジャンル融合」のように聞こえないことだ。
Femiたちにとって、これらは実際に自分たちが育ってきた環境で鳴っていた音楽だからだ。
家ではアフリカ音楽。
クラブではヒップホップやダブ。
教室ではジャズ。
教会ではゴスペル。
街ではカリブ音楽。
それらを後から意識的に融合しているのではない。
最初から全部が同じロンドンに存在していた。
だからEzra Collectiveの音楽には無理がない。
ロンドンだから生まれた音楽
2010年代のロンドンでは、Ezra Collectiveだけでなく、新しい世代のジャズ・ミュージシャンが次々と登場した。
Nubya Garcia。
Moses Boyd。
Shabaka Hutchings。
Kokoroko。
そしてEzra CollectiveのJoe Armon-Jones。
彼らは伝統的なジャズの形式を学びながら、同時に自分たちが日常的に聴いていたヒップホップ、グライム、ダブ、アフロビート、カリブ音楽などを自然に演奏へ持ち込んだ。
結果としてロンドンのジャズは、再び若者の音楽になっていった。
Ezra Collectiveはその動きの中心にいたバンドの一つだ。
『You Can’t Steal My Joy』
2019年、Ezra Collectiveはデビューアルバム『You Can’t Steal My Joy』を発表する。
タイトルを日本語にすれば、
「俺たちの喜びは誰にも奪えない」。
この言葉は、その後のEzra Collectiveを象徴するものになった。
彼らの音楽には常に「JOY=喜び」がある。
もちろん、ただ明るいだけではない。
社会には不平等がある。
差別もある。
若者が音楽を学ぶ場所は減っていく。
人生には悲しみもある。
それでも人は集まり、音楽を演奏し、踊ることができる。
喜びは単なる気分ではなく、抵抗にもなり得る。
Ezra Collectiveの音楽には、そんな思想が流れている。
『Where I’m Meant To Be』
2022年に発表されたセカンドアルバム『Where I’m Meant To Be』で、Ezra Collectiveはさらに大きな存在になる。
この作品はCOVID-19によるロックダウンの影響下で制作された。
人と人が集まることを最大の魅力としていたバンドにとって、それは極端な状況だった。
それでも彼らは、自分たちが何者なのかを改めて見つめ直した。
アルバムにはジャズだけでなく、アフロビート、ヒップホップ、ダブ、サンバなどが入り乱れる。
Nao、Emeli Sandé、Kojey Radical、Sampa The Greatといったゲストも参加した。
しかし、多彩な音楽性以上に重要なのは、5人が一緒に演奏するときに生まれる圧倒的なグルーヴだ。
Mercury Prizeを獲った「ジャズバンド」
2023年。
『Where I’m Meant To Be』はイギリスの権威ある音楽賞Mercury Prizeを受賞した。
これは歴史的な出来事だった。
Ezra Collectiveは、Mercury Prize史上初めて受賞したジャズ・アクトとなった。
発表された瞬間、5人はステージ上で抱き合い、倒れ込み、泣いた。
クールに振る舞う余裕などなかった。
Femiは受賞スピーチでTomorrow’s Warriorsをはじめ、自分たちを育ててくれたユースクラブや音楽教育の重要性を語った。
この受賞は単に「Ezra Collectiveが成功した」という話ではない。
無料の音楽教育。
ユースクラブ。
小さなライブハウス。
ローカルなコミュニティ。
そうした場所から世界的なバンドが生まれたことを証明した瞬間でもあった。
Ezra Collectiveは5人だけではない
バンド名が「Collective」であることも象徴的だ。
彼らの音楽を見ていると、主役が一人に固定されていない。
Femiがバンドリーダーではある。
しかしライブでは、Joeの鍵盤が中心になる瞬間もあれば、Jamesのサックス、Ifeのトランペット、TJのベースが主役になる瞬間もある。
さらに観客まで音楽の一部になる。
Ezra Collectiveにとってライブは、
「ステージ上のミュージシャンを見る場所」
ではなく、
「その場所にいる全員で音楽を作る場所」
なのだ。
だから彼らのライブでは、ジャズクラブとクラブイベントの境界が消えていく。
『Dance, No One’s Watching』
2024年に発表された3作目『Dance, No One’s Watching』。
タイトルは、
「踊れ、誰も見ていない」。
このアルバムはEzra Collectiveというバンドの思想を最も分かりやすく表した作品かもしれない。
テーマは「ダンス」。
ただし、単に踊れる曲を集めたアルバムではない。
Femiにとってダンスフロアは、人間が他人の視線から自由になれる場所だ。
上手く踊る必要はない。
格好良く見える必要もない。
誰かに評価される必要もない。
ただ身体を動かす。
その瞬間、人間は少しだけ自由になれる。
Abbey Roadをダンスフロアにする
『Dance, No One’s Watching』はロンドンのAbbey Road Studiosで録音された。
しかし、静かなスタジオで5人だけが演奏したわけではない。
家族や友人たちをスタジオに呼び込んだ。
人々がいる。
話し声がある。
エネルギーがある。
その中で演奏する。
ダンスについてのアルバムを、誰もいない部屋で録音することに意味はない。
そんな考え方だった。
Ezra Collectiveにとって音楽は、人間から切り離された完璧な録音物ではない。
人間が集まったときに起きる出来事なのだ。
「God Gave Me Feet For Dancing」
『Dance, No One’s Watching』を初めて聴くなら、「God Gave Me Feet For Dancing」は非常に良い入口になる。
Yazmin Laceyを迎えたこの曲は、Ezra Collectiveの激しいライブのイメージとは少し違う。
柔らかな歌。
ゆったりしたグルーヴ。
美しいホーン。
しかしタイトルが示している思想は、まさにEzra Collectiveそのものだ。
「神は踊るために足を与えた」。
難しく考える必要はない。
身体を動かせばいい。
Ezra Collectiveがジャズへ取り戻そうとしているのは、このシンプルな感覚なのかもしれない。
「Ajala」とLagos
同作の「Ajala」には、Ezra Collectiveのもう一つの重要なルーツがある。
ナイジェリアだ。
彼らはLagosにあるFela KutiゆかりのNew Afrika Shrineでも演奏している。
FemiにとってFela Kutiは幼い頃から聴いてきた存在。
Tony Allenは実際にドラムを教えてくれた人物。
その歴史を持つバンドがLagosへ行き、Shrineで演奏する。
「Ajala」には、そうした体験が反映されている。
しかし、Fela Kutiのコピーにはならない。
そこには明確にロンドンのEzra Collectiveの音がある。
伝統を守るとは、過去をそのまま再現することではない。
受け取ったものを、自分たちの時代の言葉へ変換することなのだ。
なぜ彼らのライブでは人が踊るのか
Ezra Collectiveの音楽を理解するなら、アルバムだけでは足りない。
ライブを見ると、彼らが何をやろうとしているのかが一気に分かる。
ジャズでは演奏者の技術へ注目が集まりがちだ。
もちろんEzra Collectiveの5人も非常に高い演奏技術を持っている。
しかし彼らは、
「俺たちの演奏を見ろ」
という方向へ音楽を持っていかない。
むしろ、
「一緒に楽しもう」
という方向へ持っていく。
観客とステージの距離を縮める。
演奏者とリスナーの境界を曖昧にする。
結果として、ジャズを知らない人でも踊れる。
これはEzra Collectiveの最大の強さだ。
ジャズを簡単にしたわけではない
ここで誤解してはいけない。
Ezra Collectiveは、ジャズを大衆向けに「簡単にした」バンドではない。
演奏を注意深く聴けば、かなり複雑なことをしている。
ポリリズム。
即興。
複雑なコード。
アフロビートのリズム。
ラテン音楽のクラーベ。
ダブ的な空間処理。
ジャズの高度な演奏技術。
それらが大量に入っている。
しかし、その複雑さを観客へ押しつけない。
音楽理論を知らなくても身体は動く。
そこが重要なのだ。
「分からなくても楽しめる」という強さ
ジャズには時として、「理解しなければならない」という空気が生まれる。
この奏法は何なのか。
このコード進行は何なのか。
誰から影響を受けているのか。
もちろん、それを知ることは楽しい。
しかしEzra Collectiveは、その前にもっと単純な入口を用意する。
踊ればいい。
それだけだ。
知識は後からついてくる。
この順番が、Ezra Collectiveを従来のジャズファン以外にも届く存在にした理由の一つだろう。
そして次の章へ
Mercury Prizeを獲り、世界中のフェスティバルやライブハウスで演奏し、Ezra Collectiveはすでに「ロンドンの新しいジャズバンド」という段階を越えた。
そして彼らは止まっていない。
2026年、Ezra Collectiveは次のアルバム『Here Because of Hope』へ向かっている。
これまで彼らの中心にあった「JOY=喜び」。
しかし人生には、喜びだけでは説明できない出来事も起きる。
新しい作品では、個人的な喪失や世界で起きている痛みを抱えながら、それでも希望を持つとはどういうことなのかが大きなテーマになっている。
タイトルは、
『Here Because of Hope』。
「希望があるから、ここにいる」。
それはEzra Collectiveがこれまで鳴らしてきた音楽の延長線上にある言葉でもある。
Ezra Collectiveを初めて聴くなら
最初に聴くなら『You Can’t Steal My Joy』。
ここで初期のエネルギーを感じる。
次にMercury Prizeを受賞した『Where I’m Meant To Be』。
そして『Dance, No One’s Watching』へ。
曲単位なら、
「Victory Dance」
「No Confusion」
「God Gave Me Feet For Dancing」
「Ajala」
あたりから入ると、彼らの幅広さが分かりやすい。
そして可能なら、ライブ映像も見てほしい。
Ezra Collectiveというバンドの本質は、5人だけでは完成しないからだ。
ジャズを「みんなの音楽」に戻す
Ezra Collectiveが特別なのは、新しいジャンルを発明したからではない。
ジャズ。
アフロビート。
ヒップホップ。
ダブ。
サルサ。
ゴスペル。
それらはすでに存在していた。
彼らがやったことは、それらの音楽がもともと持っていた「人を集める力」をもう一度つなぎ直すことだった。
音楽学校とユースクラブ。
LondonとLagos。
Fela Kutiと現代のヒップホップ。
ジャズクラブとダンスフロア。
過去と現在。
ステージと観客。
Ezra Collectiveの音楽では、それらの境界が次々と消えていく。
だから彼らのライブでは人が踊る。
ジャズを知っているかどうかは関係ない。
理論を理解しているかどうかも関係ない。
身体が反応すれば、それでいい。
かつて若いFemi Koleosoが「自分にはアクセスできない」と感じていたジャズ。
その少年が今、世界中の観客へ向かってジャズを鳴らしている。
そして、その音楽が言っていることは驚くほどシンプルだ。
ここは誰のための場所でもある。
踊っていい。
参加していい。
楽しんでいい。
Ezra Collectiveはジャズを未来へ連れていったのではない。
ジャズを、もう一度みんなのいる場所へ連れ戻した。

