Emma-Jean Thackray(エマ=ジーン・サックレイ)を「ジャズ・トランペット奏者」と紹介することはできる。
しかし、それだけでは彼女という音楽家をほとんど説明できない。
トランペットを吹く。
歌う。
ドラムを叩く。
ベースを弾く。
ギターを弾く。
鍵盤を弾く。
シンセサイザーを操る。
曲を書く。
アレンジする。
録音する。
プロデュースする。
DJもする。
そして、それらすべてを「ジャズ」「ヒップホップ」「ハウス」「ファンク」といったジャンルの境界をほとんど気にせず、一つの音楽として鳴らしてしまう。
Emma-Jean Thackrayは、何でもできるから面白いのではない。
彼女にとって、そもそも音楽をジャンルごとに分ける必要がない。
その感覚こそが面白い。
- 始まりはヨークシャーのブラスバンド
- 14歳で人生を変えたMiles Davis
- J DillaとMadlib
- ロンドンへ
- 「全部同じ場所から来ている」
- 「Move the mind, move the body, move the soul」
- 自分で作る
- 『Walrus』
- 『Ley Lines』
- 『Yellow』
- ジャズなのに踊れる
- 「Say Something」
- 「Our People」
- しかし、その後すべてが変わる
- 『Weirdo』
- ほぼ一人で作ったアルバム
- トランペットから離れる
- Pファンク、グランジ、ジャズ
- 「Black Hole」
- 「Thank You For The Day」
- 「自分で全部やる」という意味
- Madlibとの共通点
- UKジャズという言葉からもはみ出していく
- 初めて聴くなら
- ジャズとダンスミュージックの境界を溶かす才能
始まりはヨークシャーのブラスバンド
Emma-Jean Thackrayはイングランド北部、ヨークシャーで育った。
彼女の音楽人生の原点にあるのは、華やかなロンドンのジャズクラブではない。
ブラスバンドだった。
幼い頃からコルネットを演奏し、地域に根付いたブラスバンド文化の中で音楽を学んだ。
ブラスバンドでは、一人だけが主役になるわけではない。
複数の金管楽器が重なり、全体で一つの巨大な音を作る。
後のThackrayの作品で、トランペットやフリューゲルホルンなどを何層にも重ねて巨大なハーモニーを作る感覚には、この原体験が残っている。
彼女の音楽は未来的に聞こえる。
しかし、その根っこには非常にローカルな音楽文化がある。
14歳で人生を変えたMiles Davis
大きな転機が訪れたのは14歳頃。
Emma-Jean ThackrayはMiles Davisの『Sketches of Spain』に出会う。
Miles DavisとアレンジャーのGil Evansが作り上げた、ジャズとクラシックの境界を越える作品だ。
このアルバムとの出会いによって、彼女の音楽に対する考え方は大きく変わった。
楽器は決められたジャンルだけを演奏するものではない。
ジャズは決められた形式でもない。
まったく違う音楽同士を同じ場所に置くことができる。
Thackrayはトランペットへ向かい、やがて本格的にジャズを学び始める。
しかし、ここからが彼女らしい。
ジャズを学び始めたからといって、ジャズだけを聴くようにはならなかった。
J DillaとMadlib
Royal Welsh College of Music and Dramaでジャズを学んでいた頃、Thackrayはハードバップやクラシックと同時にJ DillaやMadlibのビートにも夢中になっていった。
これは彼女の音楽を決定づける重要な出会いだった。
J Dillaのビートは機械的に完璧ではない。
微妙に前後する。
少しずれる。
その「ずれ」が人間的なグルーヴになる。
Madlibはサンプラーだけでなく楽器まで自由に扱い、ジャズとヒップホップを当然のように行き来する。
Thackrayはそこから、
「正しく演奏すること」と「面白い音楽を作ること」は必ずしも同じではない、
という感覚を強めていく。
楽器を完璧に習得していなくてもいい。
面白い音が鳴るなら使えばいい。
この精神は、現在まで彼女の制作方法の中心にある。
ロンドンへ
その後、ThackrayはロンドンのTrinity Laban Conservatoire of Music and Danceで修士課程へ進む。
そこでジャズ、作曲、アレンジ、即興をさらに深く学んでいった。
しかし彼女は、伝統的なジャズ・ミュージシャンになる方向へは進まなかった。
むしろ興味はどんどん外へ広がっていく。
ヒップホップ。
デトロイト・テクノ。
シカゴ・ハウス。
ファンク。
ソウル。
アフロビート。
電子音楽。
そしてジャズ。
普通なら別々のレコード棚に置かれる音楽が、Thackrayの中では同じ場所に存在していた。
「全部同じ場所から来ている」
彼女の音楽観を象徴する考え方がある。
Sun Raの次にテクノを流しても、彼女にとってそこに矛盾はない。
ジャズだからこちら。
クラブミュージックだからあちら。
そんな区別をする必要がない。
どちらも人間が作った音楽であり、人の身体や精神を動かすものだからだ。
この考え方は、後に彼女自身が設立したレーベル「Movementt」の思想にもつながっていく。
ジャンルではなく、
音楽が人間に何を起こすのか。
そこを見る。
「Move the mind, move the body, move the soul」
Emma-Jean Thackrayの音楽を理解するうえで、非常に重要な言葉がある。
「Move the mind, move the body, move the soul」。
心を動かす。
身体を動かす。
魂を動かす。
この三つのバランスが、彼女の音楽における基本思想だ。
頭だけで聴く音楽にはしたくない。
踊れるだけでも足りない。
精神性だけでも足りない。
考えられて、踊れて、何かを感じられる。
その三つが同時に存在する音楽を作る。
これはEmma-Jean Thackrayがジャズとダンスミュージックを自然に行き来する理由でもある。
自分で作る
Thackrayのもう一つの特徴がDIY精神だ。
作曲家が曲を書く。
演奏家が演奏する。
エンジニアが録音する。
プロデューサーが作品をまとめる。
一般的なレコーディングでは仕事が分かれている。
Thackrayは、その境界まで壊してしまう。
自分で演奏する。
自分で録る。
自分でビートを作る。
自分でプロデュースする。
必要なら自分でミックスまで行う。
彼女にとってスタジオは、完成した曲を録音する場所というより「曲そのものを発見する場所」なのだ。
『Walrus』
2016年に発表した『Walrus EP』は、彼女の初期を代表する作品の一つだ。
この作品の面白いところは、その制作方法にある。
ロンドンのWalworth Roadにあるスタジオで、録音、サンプリング、編集を組み合わせながら作られた。
ジャズの即興演奏をそのまま作品にするのではない。
演奏したものを録音し、それを素材として切り刻み、再構築する。
つまり発想はヒップホップのビートメイカーに近い。
「ジャズを演奏する人」と「ジャズをサンプリングする人」。
普通なら別々の人間が担当する二つの役割を、Thackrayは一人でやってしまう。
『Ley Lines』
2018年の『Ley Lines』では、彼女の世界観がさらに明確になる。
ジャズ。
ファンク。
ビートミュージック。
スピリチュアルな思想。
複雑なリズム。
ホーンの重なり。
ここでもジャンルを融合しているというより、最初から一つの音楽として存在している。
そして作品を重ねるにつれて、Thackrayは単なる「新世代UKジャズのトランペッター」ではなく、プロデューサー/作曲家として注目されるようになっていく。
『Yellow』
2021年。
Emma-Jean Thackrayはデビュー・アルバム『Yellow』を発表する。
この作品によって彼女の名前は一気に広がった。
しかし『Yellow』を聴いて驚くのは、その情報量だ。
ジャズ。
Pファンク。
ソウル。
サイケデリア。
ヒップホップ。
ゴスペル。
電子音楽。
ストリングス。
コーラス。
それらが大量に入っている。
にもかかわらず、作品全体は不思議なほど統一されている。
その中心にあるのが「喜び」と「つながり」だ。
ジャズなのに踊れる
『Yellow』を聴けば、Thackrayがなぜ「move the body」を重要視しているのかが分かる。
演奏は複雑だ。
コードも複雑。
アレンジも細かい。
しかし難解さを前面に出さない。
ベースが鳴る。
ドラムが跳ねる。
ホーンが重なる。
歌が入る。
身体が自然に反応する。
ジャズの高度な音楽性と、クラブミュージックの身体性。
その二つを対立させない。
ここがEmma-Jean Thackrayの強さだ。
「Say Something」
『Yellow』の代表曲の一つが「Say Something」。
ファンクを基調とした強烈なグルーヴの上にホーンとヴォーカルが重なる。
ここで彼女は、単に演奏するだけではなく歌う。
トランペット奏者が歌も担当している、という程度の話ではない。
声もまた一つの楽器として扱われている。
Emma-Jean Thackrayの作品では、
トランペット。
ベース。
ドラム。
シンセ。
声。
そのすべてが同じレベルで配置される。
だから「彼女は何の楽器の人なのか」という問い自体が意味を失っていく。
「Our People」
「Our People」も彼女を理解する重要な曲だ。
タイトル通りテーマは人々のつながり。
Thackrayの音楽にはコミュニティという思想が繰り返し登場する。
自分だけが目立つこと。
自分だけが成功すること。
それよりも、
音楽によって人が同じ場所へ集まること。
違う背景を持った人間が同じ音を共有すること。
彼女がDJとしても活動する理由は、ここにもある。
DJは曲を作るだけではない。
人と音楽をつなぐ。
Emma-Jean Thackrayにとって、それも重要な音楽活動なのだ。
しかし、その後すべてが変わる
『Yellow』によってキャリアは大きく広がった。
ツアーを行い、世界中で演奏する。
しかし、その裏側で彼女は疲弊していった。
ツアー生活による強い消耗。
精神的な問題。
そして2023年1月。
長年連れ添ったパートナーを突然失う。
Thackrayの人生は止まった。
音楽を作ることもできなくなった。
半年ほど、ほとんど何もできない時間が続いた。
彼女にとって音楽は仕事ではなかった。
自分が自分であるための中心だった。
だから音楽へ戻ることは、そのまま自分自身を取り戻すことでもあった。
『Weirdo』
2025年4月。
約4年ぶりとなるアルバム『Weirdo』が発表された。
タイトルは「変人」。
Thackrayは子どもの頃から、その言葉を自分へ投げつけられてきた。
周囲と違う。
変わっている。
理解しにくい。
しかし彼女は、その言葉を自分自身のものとして取り戻す。
「Weirdo」であることを隠すのではなく、作品のタイトルにしてしまった。
当初、このアルバムは自分自身の違いを受け入れることをテーマに構想されていた。
しかしパートナーの死によって、作品の意味は大きく変わった。
『Weirdo』は自分自身についての作品であると同時に、喪失を記録した作品になった。
ほぼ一人で作ったアルバム
『Weirdo』で驚くべきなのは、その制作方法だ。
Thackrayはほぼすべてを自分で担当した。
作詞。
作曲。
ヴォーカル。
楽器演奏。
録音。
プロデュース。
ミックス。
一部のゲストを除けば、作品のほとんどが彼女自身によって作られている。
これは単なるマルチプレイヤーとしての自慢ではない。
彼女にとって必要な方法だった。
人生のコントロールを失った感覚の中で、
「自分の手で何かを作る」。
それが少しずつ自分自身を取り戻す行為になっていった。
トランペットから離れる
『Weirdo』では、これまで彼女を象徴していたトランペットの存在感が意図的に減っている。
代わりに前へ出てくるのがギターと声だ。
これは非常に象徴的だ。
Emma-Jean Thackray=トランペット。
そんなイメージができ始めた瞬間、本人はそこから離れていく。
ジャズ・ミュージシャンという肩書き。
トランペット奏者という肩書き。
そのどちらにも自分を閉じ込めない。
必要な音がギターならギターを弾く。
必要なのが歌なら歌う。
彼女にとって重要なのは、自分の肩書きを守ることではない。
作品に必要な音を鳴らすことだ。
Pファンク、グランジ、ジャズ
『Weirdo』では音楽性も変化した。
Pファンク。
ジャズ・ロック。
グランジ。
ソウル。
ポップ。
ヒップホップ。
以前よりギターの比重が増え、時には荒々しいロックの質感まで現れる。
それでもEmma-Jean Thackrayらしさは消えない。
なぜなら彼女の個性は「ジャズを演奏すること」にあるのではないからだ。
異なる音楽を自分の感覚でつなぐこと。
そこに彼女の本質がある。
「Black Hole」
『Weirdo』の中でも象徴的なのが「Black Hole」。
Reggie Wattsを迎えたこの曲には、George ClintonやPファンクへつながる奇妙なユーモアがある。
テーマは決して軽くない。
精神的に落ち込み、ブラックホールへ沈んでいくような感覚。
しかし音楽は完全な絶望にはならない。
ファンク。
ユーモア。
奇妙な音。
踊れるビート。
暗闇の中にも、少しだけ笑える場所を残す。
これはThackrayがPファンクから受け取ったものでもある。
George ClintonやBootsy Collinsの音楽には、真剣な音楽性と馬鹿馬鹿しいほどの遊び心が同時に存在する。
深刻だから、暗い音楽でなければならないわけではない。
その考え方が『Weirdo』を支えている。
「Thank You For The Day」
アルバム最後の「Thank You For The Day」は重要な曲だ。
『Weirdo』には喪失、孤独、絶望、混乱がある。
しかし最後を絶望だけで終わらせない。
一日を生きたこと。
今日という時間が存在したこと。
それ自体へ感謝する。
非常に小さな希望だ。
しかし巨大な希望よりも、時にはその小ささの方が現実的なのかもしれない。
『Weirdo』は「悲しみを乗り越えました」というアルバムではない。
悲しみを抱えたまま、それでも生きる。
その状態を記録している。
「自分で全部やる」という意味
Emma-Jean Thackrayは、何でも自分でできる。
しかし重要なのは能力の多さではない。
彼女の制作方法には、一つの思想がある。
自分の頭の中に聞こえている音を、できるだけ他人の翻訳を通さずに外へ出す。
トランペットの音が必要なら吹く。
ベースが必要なら弾く。
ギターが必要なら弾く。
ビートが必要なら作る。
録音もする。
ミックスもする。
楽器は肩書きではない。
頭の中の音を外へ出すための道具だ。
Madlibとの共通点
ここで再びMadlibへ戻る。
ThackrayがMadlibに惹かれた理由は、単にヒップホップが好きだったからではない。
Madlibもまた、ジャンルや楽器のルールをほとんど気にしない。
サンプラーを使う。
ドラムを叩く。
鍵盤を弾く。
架空のジャズバンドまで作ってしまう。
重要なのは、
「自分は何の楽器の専門家なのか」
ではなく、
「どんな世界を作りたいのか」。
この感覚はEmma-Jean Thackrayにも強く流れている。
UKジャズという言葉からもはみ出していく
Emma-Jean ThackrayはEzra Collective、Nubya Garcia、Moses Boydなどと同じ現代UKジャズの文脈で紹介されることが多い。
それは間違いではない。
しかし『Yellow』から『Weirdo』までを聴くと、その枠からもどんどん離れていることが分かる。
ジャズ。
ファンク。
ハウス。
ヒップホップ。
ロック。
ポップ。
電子音楽。
どれか一つを選ぶ必要がない。
彼女自身が一つのジャンルになりつつある。
初めて聴くなら
Emma-Jean Thackrayを初めて聴くなら、まず『Yellow』から始めるのがおすすめだ。
「Say Something」。
「Our People」。
「Golden Green」。
「May There Be Peace」。
このあたりを聴けば、ジャズ、ファンク、ソウル、ビートミュージックを同時に鳴らす彼女の感覚が分かりやすい。
そこから初期の『Walrus』『Ley Lines』『Rain Dance』へ戻る。
そして最後に『Weirdo』。
そうすると、同じ音楽家がどれほど変化したのかが見えてくる。
『Yellow』が外へ向かって広がる音楽だとすれば、
『Weirdo』は自分自身の内側へ深く潜っていく音楽だ。
しかし、その両方に共通しているものがある。
音楽によって、人間を動かすこと。
ジャズとダンスミュージックの境界を溶かす才能
Emma-Jean Thackrayの音楽を聴いていると、ジャンルというものが急に不便に思えてくる。
ジャズなのか。
ファンクなのか。
ヒップホップなのか。
ハウスなのか。
ロックなのか。
本人にとって、その問いはそれほど重要ではないのだろう。
Miles Davis。
Gil Evans。
J Dilla。
Madlib。
Sun Ra。
George Clinton。
ブラスバンド。
クラブミュージック。
それらは彼女の中で同じ音楽史の中に存在している。
頭を動かす。
身体を動かす。
魂を動かす。
それができるなら、ジャンルの名前は何でもいい。
そして『Weirdo』では、そこへもう一つの要素が加わった。
音楽によって、自分自身を生かすこと。
Emma-Jean Thackrayはジャズを現代化しているのではない。
ジャズという考え方そのものを、もっと自由な場所へ連れ出している。
トランペットを置いてギターを持ってもいい。
ジャズの次にハウスを流してもいい。
難しいコードの上で踊ってもいい。
悲しいことをファンクで表現してもいい。
「変わっている」と言われたなら、その言葉さえ自分のものにしてしまえばいい。
彼女の音楽が自由に聞こえる理由は、そこにある。
Emma-Jean Thackrayはジャンルを混ぜているのではない。
最初から、そこに境界線を引いていない。

